凍苑迷宮図
         〜789女子高生シリーズ
 


      



その日はとうとう、都心でも雪が間断なくの降りしきり。
陽のあるうちからの積雪が、なのに溶ける間もなく折り重なってのこと、
まだ裸のままな街路樹の梢や、ジンチョウゲの茂み、
なかなか積もったままにはなりにくいはずの、
アスファルトの路面でさえ、雪に化粧をほどこされ。
少なくはない様々なものを、
呟きの声ごと そおっと押し包んでは、音もなく隠してしまったようで。
そんなまで寒々しかった雪の日が、だが、
一夜明ければ、今度は朝からいいお日和となり。
陽だまりにいると、背中や肩が暑くなり、
ついつい上着を脱ぎたくなるほどという変わりよう。
急な雪で足元不安だったはずが、今日はどこも乾いており、
同じ場所をゆく足取りも、打って変わってついつい軽快になるほどで。
何だか人ならぬものに化かされてでもいたような…とは、
場を盛り上げるのが得手の、
こちらの会長 兼、総取締役でもある麻呂様のお言葉だったが。

 「ほんに、この善き日がこんなにも晴れやかな空模様になって。」
 「これも麻呂様のご人徳でしょうねぇ。」

都心も都心、M区の目抜き通りのほど近くに、
まさかこうまで瑞々しい緑の空間が広がっているなんて。
一体どういうからくりかと、眸を疑ってしまうような、そこは正に異空間。
そんな不思議な感覚を体感出来る、
ホテルJのエグゼクティブ・ガーデンが、
今日は特別なイベントのため、全面的に広く開放されている。
新しい提携先となる海外資本の商社の代表取締役を招いての、
調印式を兼ねたちょっとしたレセプション。
合併みたいなものとの話だが、いやいやこれはもう実質は買収だろうと、
流通の世界に詳しい人ならあっさり見通しているほどに、
資本力にも、経営実績や人脈においても、格段の差がある提携で。
それがため、向こうサイドの従業員の皆様は
強引な人員整理をされかねないことを恐れ、
提携反対という意志の表明、
デモやストライキもさんざん敢行したとも漏れ聞くが、

 “こちらの会長は、運用下手をこそ排除なさるお人だからなぁ。”

子会社・孫会社を切り捨てて、母体の本社だけを生き残らせるという
安易で能のない策しか打てないような、
しょうもないぼんくらこそ不要と、
管理職より上をこそ、あっさりきっぱり放り出すことでも
知られておいでの御仁であり。
今回の提携も、実をいや
子会社の営業の末課に奇特なアイデアマンがいるとの報告を
秘密裏に受けての手打ちだとか。
まま、そういった大人の世界の駆け引きのお話はともかくとして、

 「アメリカの東部へもリゾートタイプのコンドミニアムを展開する、
  その先鋒となってくれるでしょうことを……。」

お定まりな式辞の紡がれる会場は、
各界から結構な人を集めてのなかなかの盛況振りであり。
頭上には優しい青空が広がり、
すっかりと乾いた白い石を敷き詰められた中庭には、
その白を基調に、冬枯れしない芝草の緑も生き生きとあふれ。
明るいうちからのガーデンパーティー。
よってセミフォーマルという告知に合わせ、
集まっておいでの客人のまとうドレスの華やかな色彩も相俟って、
一足早い春が来たような趣きで。

 「あら。でも、いつもなら
  そろそろお嬢さんのお出ましではなかったかしら。」
 「そうですわよね。」
 「こういう催しなら、
  調印セレモニーと同時に、花束の贈呈があるんじゃなかったかしらね。」

財界のおタヌキ様たちのほめ殺し合戦や、
けばけばしい若作りをした秘書だか愛人だかの品定めなんて他でも出来る。
こちら主催の この地でのレセプションならばというお約束、
それは愛らしくも凛然とした、こちらの自慢のお嬢さんが、
幸いが降りますこと約束する象徴のような気高さで、
その姿を見せてくれるのが楽しみだからと
わざわざお運びになる方々も少なくはないのだが、

 「ああ、それが何ですか、今回はお越しではないそうなの。」
 「え? それはまたどうして?」

世情にはそれほど躍起じゃあならしい奥様が、
本心から怪訝そうに訊き返すのへ、

 「何でも、お嬢さんのお友達のお屋敷の近くで狙撃事件があったそうで。」
 「あ、昨日のでしょう? 確か日本画家の…。」

別な方向から聞き付けた婦人が、そうとお声を挟んで来て、
そうそうとそのお連れが、細い眉をきゅうと大仰なほど寄せて見せる。

 「お家の方々は無事だったそうだけれど、
  警護についていた人が怪我をしたとか倒れたとか。」
 「それに、こちらのお嬢様の家へも、
  怪しい者が姿を見せてたらしくって。」
 「まあ、恐ろしい。」

  それでは、
  恐ろしくて外出は控えなさるのもしょうがありませんわね。
  ええ、ええ。
  多感なお年頃ですものね。
  お友達への案じもおありでしょうし。

可哀想にと同情を寄せる、ご婦人たちの小声でのお喋りへ、

  “…多感なお年頃。”

ついついその胸の内にてリピートしていたお人があったことは、
だが、当然のことながら、誰にも気づかれてはなかったようだけれど。
立ち聞きになってしまったがそれはこういう場だから仕方がないとして、
それへの感慨を隠し切れたのは、
彼がそういう押し隠しに通じていたからでもあって。
というのも、

 “ま、こういう段取りにでもしないことには、
  来るなと制しても理由を訊くだろうし、
  大人の傲慢を繰り出して“言えぬ”と押し切っても、
  却って身を乗り出すよなお人たちだものなぁ。”

  件(くだん)の少女らが
  並大抵の令嬢たちじゃあないことは重々承知。
  度胸も人性も、
  聞きかじり以上のレベルで大人ばりのそれを持っておいでだ。
  そんな彼女らを抑えられないことに関しては、
  事情を知らぬまま責められても
  そりゃあ気の毒というものだよな……と。

シックなデザインのジャケットに、
棒タイをリボン代わりに巻きつけた、
華やかな結びようのアスコットタイも小粋な男性客が。
こんな場で、ステレオヘッドフォンなのか、
イヤホンを片側の耳へと装着して立っておいで。
おとがい近くにインカムマイクが出ておれば、
携帯での通話中か、若しくは警備の責任者クラスかとも解釈出来るのだが、
そんな様子もないものだから。
そこまでを読める人には尚更に、じゃあなんで?という
微妙な判じ物のような存在だけれど。

 「…なにか?」
 「あ…いえ。///////」

好奇心の旺盛なご婦人が、つい視線を向けてしまうのも頷ける、
涼やかな双眸に きりりと引き締まった口許、
頬骨はさほど高くはなくて、
そのせいだろうロマンチックな甘い風貌をしておいででもあり。
なめらかな癖のある髪を行儀のいい指先で掻き上げるだけで、
間近に居合わせた妙齢のご婦人がそわそわしてしまうような色香もお持ち。
そんな彼が、耳元への“報告”へ短く頷き、
微塵も迷いのない切れのある動作で歩き出したのとほぼ同時、

 【 それでは ○○社CEOから、
  日本では初となるご挨拶を賜りましょう。】

今回の提携を決定した人物にして、この調印式の向こうサイドの主人公、
肩幅も広くてなかなかに恰幅のいい、
お若いころにはアメフトかベースボールをなさっていたのだろう、
上背のある紳士が、そりゃあにこやかに壇上へと上がってゆく。
マイクがセッティングされた卓へ辿り着くと、
すぐ傍らに控えめに追従して来た通訳の男性から、小声で何事かを告げられたのへ、
うんうんと鷹揚に頷いてから。
まずは場内を左右へゆったりと見回したのだが、

 「 ▽$▽♯●●っ! ▼▼△※◎、◇▽▽っっ!!」

一体どこのお国の言語やら、
興奮していたことも加味され、余計に聞き取りにくい、
だが、間違いなく罵声の羅列だろう雄叫びを上げながら。
丸太のような腕で、力任せに招待客らを掻き分け押しのけ、
猛獣も顔負けの勢いで壇上目がけて突進して来た乱入者があって。
広い会場の外から突っ込んで来た訳ではなく、
恐らくは来賓に紛れ、給仕役にでもなりすまし、
タイミングを見計らっていたのだろう、計画的な侵入者でもあり。
大柄で体さばきも機敏、
脇目も振らず、容赦なくという機能ぶりから、
荒ごと慣れしている輩だと思われる。

 「ガードマンっ! 何してるっ!」
 「会場西側へ誘導急げ!」

どんな武装をしているかもよく見えぬが、
昨日発生した狙撃事件の実行犯もまだ捕まってはいないとあって、
警備陣営にも少なくはない緊張が走る。
逃げ惑う人々には見向きもせず、
一直線に壇上のアメリカ人CEOへ目がけて突進して見せた大男は、
そのまま、頑丈そうなブーツで小ぎれいに磨かれた壇上へどかりと駆け上がると、
こちらは…見栄えの割に反射神経はそれほどでもなかったか、
逃げることさえ出来ぬまま、
マイクテーブルの前に凍りついていたCEOの、
双眸を見開いた顔をニヤリと見返し、

 「▽$♯●●っ!」

覚悟しろか、終わったなとでも言ったのか、
窮屈そうだった黒服のジャケットの懐ろから、
大きな手にはバランスの取れている、大ぶりのナイフを掴み出したものの、


  「やはりな。
   狙撃では確実性が危ういし、
   彼以外の幹部や、とりわけ親会社のCEOへは、
   脅威を与えぬ恐れもあろう。」


よって、誰の犯行かが曖昧となる飛び道具ではなく、
直接ぶつかる玉砕という形で、誰が誰へ抗議しているのかが判るよう、
それはセンセーショナルな手口を使うのだろうと思っていたぞと。
よく通る響きのいいお声が言ったが早いか、
二人の異国人の狭間に、
つむじ風が閃いたかのような“ひゅっ”という風籟が鳴り響き。

 「………っ!」

掴み出したそのまま、
反動をつけるべく高々と振りかざそうとしていた動作のその途中、
何かに当たったような気がした次の瞬間にはもう、
持ち馴れた得物だったのだろうに、一気に重みが消えてしまい。
ぎょっとして見上げた手元には、把の部分と握ったままの柄しかなく、
刃は宙へと解け去ってしまって跡形もない。

 「な………っっ!」

狼藉者のみならず、庇われた格好のCEOさんも、
駆けつけかかっていた青い眸のSPの面々も、
一体何が起きたのかが解らず、ただただ愕然として立ち尽くすばかりだったのだが、

 「逃がすもんですかっ!」
 「お待ちなさいっっ!」
 「………っ!」

招待客らが誘導されて行く方向とは逆側の出遅れ陣営のただ中から、
そんな勇ましいお声が聞こえて来たものだから。
CEOの前へと踏み出しての、護衛のお仕事までやり遂げた通訳さんが、
自分が振って見せた伸縮警棒をしゃこんと縮めて仕舞いつつも、
少々呆れたような苦笑をし、
そんな彼が見やった先へ、フロアにいたのでといち早く駆けつけたとある人影が、

 「こら、どうして君たちがいるんだい。」
 「だって、警察の方々よりわたしたちの方が目立たないでしょう。」
 「そうそう。」
 「……。」

メイド服やらボーイ服の、それにしては少々小ぶりな体躯の3人ほどが、
会場の一角で演奏していた楽団員…の、
タキシード風衣装をまとった男を押さえつけていて。
ボーイの恰好をしたエアリーなくせっ毛の金髪娘は、
白いその手に指揮棒のようなものを握っていたのだが。
その先端が触れた途端、
タキシード男のサングラスがぱーんっと弾けたものだから、

 「ひいぃいっっ!」

これはもはや、
観念どころじゃあない諦めようを示す悲鳴としか聞こえなくって。

 「久蔵さん、もしかして君、超しんど……。」
 「まっ、いやですわよっ、佐伯さんたらっ。」

何か言いかけた現場警護担当の佐伯刑事さんを、
肩をどつく素振りつきで誤魔化したのがひなげしさんなら。

 「島田も来ていたとは。」

シチの勘、恐るべしと、
恐ろしがってる割には淡々と呟いたのが、ボーイ姿の紅ばらさんで。
そして、

 「だって、発案者ですもの、最も効果的なところから登場しなくては。」

そこが外連(けれん)の醍醐味じゃあありませんかと、
あれほど青ざめていたはずの白百合さんが、
にぃっこり微笑って見せつつ、
膝の下へと踏んずけていた暴漢の仲間を、
むぎゅむぎゅと揺さぶってのどーだどーだと押さえ込む辺り。


  さぁて、ここで問題です。
(おいこら)









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